おさいふ放浪記 Vol.1 | 利回り不動産

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おさいふ放浪記 Vol.1

2021/11/17

著名人インタビュー歴 2000 人以上。
昭和、平成、令和を第一線で書く女のマネー・エッセイ。
本企画は過去現在、そして未来の「お金」と「生き方」にまつわる話を、ノンフィクション作家の森綾(もり・あや)がエッセイ、著名人インタビュー、体験談などを交えてお送りしていきます。
経験は豊富。でも見た目は40代です!(本人談)。どうぞお楽しみください。

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第1回 昭和の埋蔵金

物書きが一番その品位を問われるのは、お金とセックスの話題であろう。

人間の根本的な欲望として、食事や睡眠のことを書いても誰も下品だとは言わない。
しかし、お金とセックスのことを書くと、それだけでかなり眉を顰(ひそ)める人たちがいる。
このサイトから「お金についてエッセイを書いてください」と依頼をいただいた時、真っ先に頭に浮かんだのはそのことだった。でも同時に思ったのは、私はこれまであまりにも「お金」について無頓着であったということだ。
交通費も取材費も自腹で、タダのような週刊文春webの仕事も、みんみんの餃子とそれまでの恩義であっさり引き受けてしまい、借金を作ったこともあった。

そんな私であるから、この際、お金と向き合ってみようじゃないかと思ったのである。
それに、世の中のお金に対する価値観や意識が大きく変わってきているというのも、昭和、平成、令和と申し訳ないほど長生きしつつある私には実感としてある。
おそらく、昭和生まれの私が若い頃に「明治の人は~」とか「戦前の人は~」と思ったような感覚を、今の若い人たちは我々にもっているのではないかと思う。
いや、そうに違いない。
追い討ちをかけるように、7歳年下の弟は、先日、電話でこう言った。
「あんな、100万貯金あったら10分の1くらいはビットコインにしといた方がええで」
「なんで?」
「10年以内に化けるで」
「… ごっつぃ税金持っていかれるんとちゃうん」
「それでも得するぐらいになるらしいで」
「…ふーん」
大阪の弟は最後に「知らんけど」とは言わなかった。
これは真面目な話らしい。しかし私には100万円の貯金もない。

昭和の多くの人間にとって、お金は汗水垂らして働くことの対価であった。
戦後、食べることにも困った人が大勢いた。
だから食べものは無駄にしてはいけないし、お金はいざというときのために貯金しておくものだった。
たくさんお金を貯めた人が買ったものは、さらに価値の下がらない不動産だった。

よく見れば「不動産」ってすごい言葉である。動かず、産むのである。
何を、お金を、だ。
今思えば、お金を産む不動産もあれば失わせる不動産もある。
しかし昭和の人たちには「不動産絶対主義」と言っていいほどの、いや信仰のようなものがあった。
だから「山持ち」なんていう言葉も畏れられた。山持ちはお金持ちを超えているくらい、すごい感じがした。

子どもの頃、母方の祖父母の家は大阪の旭区で街工場をしていた。
プラスチックやアクリル板、金属などに焼き付け印刷をする工場で、今でいうサインとか看板を作っていた。
高度成長期の昭和40年代は本当に忙しく、一族郎党総出で働いていた。
その甲斐あってか、祖父は大好きなバクチに精を出しても、それなりに裕福だったと思う。
隣の土地を長男用に買い、家を建てた。しかし工場と母屋のある土地は、借地であった。
時々、大家さんのところへ、祖母と地代を払いに行った。
その大家さんは、周辺の土地をかなりもっている地主さんだった。
大家さんのことを、祖父母も母も「ぜーさん」と呼んでいた。 苗字に「ぜ」はつかなかった。
なんでぜーさんだったのか。善三郎だったのか、善吉だったのか、定かではない。

黒塀の向こうに鬱蒼と木が茂り、一部の木が黒塀をぐいぐい押しているように見えた。
とても人が住んでいるようには見えず、奥に大きな茅葺の平屋の一軒家がある。
電気がついておらず、夕方遅く、暗くなってから祖母と地代を払いに行くと、玄関が真っ暗だった。
呼び鈴はなく、引き戸だった気がする。
「ごめんくださーい」
引き戸をちょっと開け、2回ぐらい祖母が言うと、なかからガサゴソと音がした。
暗闇のなかから静かに奥さんが出てきて、真ん中で何かすると、裸電球がついた。
玄関の土間は部屋のように広く、ひんやりと冷気が漂い、灯りは裸電球だった。
子どもの私は衝撃を受けた。
裸電球!
細面で地味な格好の奥さんは、祖母が地代を渡すと、台帳ごとおしいただき、中で受け取りのハンコを押して、戻ってきた。
「ありがとうございます」
私と祖母が土間を出ると、灯りはすぐ消えた。

私は祖母の手を繋いでしばらく無言で歩き、家に入るや否や言った。
「裸電球やったな!」
祖母はくっくと笑っていた。
「外灯もあらへん。お金持ちやのにな」
そして、ちょっと思い直すように言った。
「ケチやから、お金が余計貯まるんやな」
うんうん、と、母も言った。
「お金つかわはらへんねんな。…楽しいんかな」

思えば、母方の祖父母の家は、お金は遣ってなんぼ、遣ってこそ幸せな家だったのだと思う。
「金は天下の回りもの」が当たり前だったのだ。
しかし、祖父はそこで、ニヤニヤ笑いながら、衝撃の事実を口にした。
「ゼーさんのところの土地かて、もともと梅原の土地やったんや」
「えええー」
なんでも梅原家はもともと静岡の武家で、武田信玄の家来をしていたこともある。
しかし、どういう事情か大阪へ流れてきて、江戸時代には、このあたりの土地を仕切っていた。
「なんで? なんで取られてもうたん!」
なんと悔しいことであろう。
私が祖母の膝の上に乗りかかって聞くと、祖母は祖父のことを横目でチラチラ見て言った。
「バクチや。バクチでなくなってもたんや」
祖父はへへん、へへん、と笑っていた。
バクチは怖い。と、子どもの私は思った。

「あやちゃん、花札教えたろか」

それでも祖父は明るく言っていた。。

祖父母の家は、神社仏閣への寄附や、人にお祝いを送ったりすることも派手だった。
「付き合いもせんならん」
大正生まれの祖母は普段は同じ着物を着ていて、あまり自分から何か欲しいと言ったことがなかった。
当時の奥さんたちは、まだそれが当たり前なところがあった。
夫には外で付き合いをさせ、子どもに食べさせて着せて、自分はなるべく質素でいる。
それが美徳だった。
そしてそれでも、私を含め女の子たちは将来結婚することを夢見ていた。
なぜだったんだろう。
「男は敷居を跨げば7人の敵あり」
そういう言葉があって、女たちはそれを信じていた気もする。
そしてそこにはそこにしかない幻想や幸せもあったのである。
彼女たちは貯めた。いつか何かあった時のために、と貯めた。
郵便局の定期預金や簡易保険。
保険会社の年金保険。
それが昭和の見えざる埋蔵金である。

でもそれを狙うオレオレ詐欺」なんかに騙される人たちもいる。
通帳から出せないまま、あの世へ行ってしまう人もたくさんいる。
ひょっとしたら、お金というものは、動かしてこそ、その価値が生きるものなのかもしれない。

眠ったままではお金は死んでしまう。
昭和が遠くなった今、そこにあった普通の人たちの埋蔵金の行方が、ちょっと気になるのである。

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#rimawariblog #利回り不動産 #森綾

本連載企画は、「森綾」が自身の体験に基づいた、お金にまつわるエッセイやインタビューを中心に連載していくコーナー「1万円からできる・利回り不動産」の提供でお送りしています。次回もお楽しみに!

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